どうする家康 妻木城主、家康に会う(岡崎市)

どうする家康 妻木城主、家康に会う(岡崎市)

令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」で盛り上がりを見せている岡崎。
東海環状自動車道の開通で妻木長から岡崎は大変近くなりました。
今日の目的地は岡崎市の中心地、市役所にほど近い伝馬通です。

伝馬通り

なぜ岡崎かというと、妻木城主に関わる古文書の中に次のような記述があります。
前々から一度現地を訪ねてみたいと思っていました。

「関賀原御出陣之刻、妻木玄蕃、三州岡崎そうだ川迄 御目見得ニ罷出、伝馬町迄御供仕」

とあります。

これを解説すると次のようになります。
慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いの時、徳川家康は江戸を出立し、九月九日に岡崎に到着します。
その時妻木城主(土岐市)であった妻木玄蕃家頼は徳川家康に味方し、石田三成方であった岩村城主の田丸直昌と合戦の最中にありました。
妻木家頼は何度も書状を家康に送り、東濃地方の情勢を伝えていました。
家康が岡崎近くまで来たことを知ると、妻木家頼は岡崎そうだ川へ出かけ、家康にお目見えします。
そうだ川は宇田川と記した古書もありますが、どこか定かではありません。
そしてそこから伝馬町までお供をしたということです。
ここで家康から妻木へ帰り、東濃地方を押さえるよう命ぜられました。

それでは現地へ出かけたいと思います。
東海環状自動車道を南下し、豊田東インターを下りて国道248号線を進みます。
岡崎市内へ入って国道一号線との交差点を左折します。
じきに岡崎城の北側にでます。
岡崎公園前の大きな三叉路を左に進み、一キロほどで今日の目的地で伝馬通です。

この付近が東海道岡崎宿です。
道路の両側には歴史プロムナードとして20体の石像が置かれています。
小ぶりな石像ですので車からではわからないかも知れません。
最盛期には1500軒以上が軒を連ねた宿場町も、所々に面影を残すだけですが、400年以上前にここで家康と妻木の殿様が会ったと思うと感慨深いものがあります。人馬継立と題した石像です。伝馬通一丁目と伝馬の交差点の中間にある永田屋本店前あたりにあります。