この法衣は、妻木家頼が二代将軍徳川秀忠(寛永9年・1632年没)より拝領した陣羽織を崇禅寺に寄進し、寺がこれを九条の法衣に仕立てたものと伝えられています。
法衣には、五条、七条、大衣(九条・十一条~二十五条)の三種類があり、五条は作業、労働、旅行、眠臥に着衣し、七条は聴講、礼仏、座禅、説教などの大衆の席に出るときこれをつける。
九条の法衣は最高の正式威儀の着用袈裟で、所用によって「入王宮聚落衣」とよばれ、王宮とか聚楽第に入るときにつける袈裟であり、清岩宗源禅師(崇禅寺中興の祖)の頃の崇禅寺にその必要があったことを示し、隆盛を知る資料といえます。